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「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実」-宇宙への道を開いた、ロバート・ゴダード–

現在、世界中で打上げられている宇宙ロケットには、主に二つの種類があります。
一つは「固体燃料ロケット」です。こちらは文字通り固体の推進剤を用いるロケットで、簡単な構造ですが誘導制御が難しいロケットで、日本の内之浦から打上げられるようなイプシロンロケットや観測ロケット、大型ロケットを打上げる際の固体燃料補助ブースターなどはこれに当たります。
もう一つが「液体燃料ロケット」です。こちらは液体の推進剤を用いるロケットで、バルブなどを通して燃焼の調節が行える、誘導制御がしやすいロケットです。主に、人工衛星の打上げに用いられるロケットで、人類を初めて宇宙に運んだボストークや、アポロ宇宙船を月まで届けたサターンⅤ、SpaceX社が打上げるFalcon9などがこれに当たります。どちらも重要なロケットシステムですが、現在多くの衛星打上げロケットには液体燃料ロケットが用いられており、宇宙へ行くために重要な技術となっています。




固体燃料ロケット(上)と液体燃料ロケット(下)の主な構造。
液体燃料ロケットは誘導制御が容易なのと大型ロケットに用いるのに適しているため、
各国の主力ロケットの殆どで採用されている。
Credit:Wikimedia Commons/時乃/Liquid_fuel_rocket_ja、solid_fuel_rocket_ja

どちらも宇宙へ行くのに欠かせない燃料ですが、液体燃料ロケットの打上げ成功に関しては、アメリカに住む一人の発明家が、誰にも知られずひっそりと成し遂げていました。
その発明家が「ロバート・ゴダード」です。

少年発明家

ゴダードは、1882年のアメリカ・マサチューセッツ州のウォーセスターに生まれました。その後、ボストンに移り少年時代を過ごします。ゴダードの幼少期、アメリカの都市に電気が通り始めました。その科学技術に感激し、僅か5歳の頃から様々な実験を行うようになります。時には、薬品を使った化学実験を行って家の一隅を爆発させたこともあったそうです。それでも熱心に実験に取り組む息子に父親は理解を示し、望遠鏡や顕微鏡、科学雑誌などを一通り揃えました。

そうして少年時代を、科学と共に過ごしたゴダードは16歳になり、とある出会いをします。それは、HG・ウェルズが執筆した「宇宙戦争」というSF小説でした。火星人が地球に攻めてくるという当時としては斬新な内容に、ゴダードは胸をときめかせます。ある日、ゴダードは納屋の裏にある桜の木に登り、空を眺めながらこう思いました。

「もし火星に行けるような装置があれば、どんなに素晴らしいだろう」と。

ロケットへの目覚め

ゴダードはやせ細った身体の弱い少年であり、内向的な性格だったために友人ができず苦労したと言います。それでも知識に対し貪欲な彼は科学に関する本を読み漁り、やがて少年の頃思い描いた宇宙への夢を胸にウースター工科大学に入学します。彼はそこで宇宙旅行を可能にするための様々なアイデアを思い付き、その末に「液体燃料ロケット」にたどり着きます。

当時、ロケットといえば「固体燃料ロケット」が主流でした。固体燃料ロケットは、その名の通り、固体の燃料を用いるロケットで、広義の意味では浜辺で上げるようなロケット花火もこれに当たります。当時のロケットは、ロケット花火の延長線のようなもので、古くに使われていた兵器のイメージがありました。ゴダードはこのロケットの仕組みを大きく変え、液体の推進剤を使い、より高いエネルギーがあれば“空を飛べる”と、当時としては全く新しいロケットを思いついたのです。

1912年、彼は余暇にロケットと推進剤の重量、速度などを計算し、ひとまず地球大気を研究するために必要なロケットの設計を行いました。さらに10年前には、ロシアの「ロケットの父」とも呼ばれる科学者、コンスタンチン・ツィオルコフスキーも液体燃料ロケットの飛行に必要な簡易な方程式である「ツィオルコフスキーの方程式」を生み出していました。しかし、ゴダードも同様の式を考え、さらに地球重力と空気抵抗などを考慮した、より現実的な方程式を導き出しました。このことから、彼の液体燃料ロケットのアイデアは、スミソニアン学術協会の耳にも届き、資金援助を受けることができるようになります。

しかし、1914年に第一次世界大戦が始まると、ゴダードがいた大学も戦争協力のための研究を行うようになります。そしてゴダード自身も、戦場で敵を攻撃するロケットや、都市や工場を戦略爆撃するための固体燃料ロケット開発を手伝うことになります。ゴダードは、バズーカの元となる研究を行うなどして実績を残しますが、宇宙ロケットの研究は止まってしまい、細々と軍事研究を続けることになります。

史上初の液体燃料ロケット打上げ成功

第一次世界大戦が終結し、ようやく軍事研究から解放されたゴダードは、改めて夢の宇宙旅行を目指すため、マサチューセッツ州のオーバーンにある親戚が所有する農場に、実験場を作ります。けれどもゴダードは資金不足だったため、まずは小さなロケットの技術実証を行うことを目指しました。

こうして、液体燃料ロケットエンジンの製造に成功し試験も済んだ1926年3月16日、史上初の液体燃料ロケット「ネル」がゴダードによって打上げられました。推進剤には、ガソリンと液体酸素が用いられました。本来であれば、液体水素と液体酸素を用いたロケットを作りたかったようですが、一般人が液体水素を入手するのは困難だったため、ガソリンで代用して製造しました。打上げられたロケットは2.5秒で41フィート(12.4968m)上昇し、最終的に184フィート(56.0832m)に到達しました。実験は大成功でした。玩具にも見えるほどの、とても小さなロケットで、到達高度も現在からしてみれば決して高いものではありません。しかし、液体燃料ロケットという、今まで空想上の物だったものが、実際に空を飛び所定の高度に到達したという事実は、これからの人類にとっても大きな一歩となりました。

史上初の液体燃料ロケット「ネル」とロバート・ゴダード
Credit:NASA

夢間近に終わった宇宙への路

液体燃料ロケットの打上げに成功した後、マスコミの前でロケット実験の披露などもしたゴダードですが、その技術の真の意味に気付く者は、当時ほとんどいませんでした。目標高度に到達した後、地面に落ちたロケットを見て「失敗した」と勘違いされるなどして、ついにはマサチューセッツ州での実験を禁止されてしまいます。しかし、そうしたニュースが、当時大西洋無着陸横断飛行を成功させ”空の英雄”として有名だったチャールズ・リンドバーグの耳に入り、支援を受けられるようになります。リンドバーグの支援もあり、ゴダードはニューメキシコ州・ロズウェルに移って、もっと大きなロケットの実験が行えるようになります。1930年には高度2.3km、時速11000kmにも及ぶロケット実験に成功し、少年時代に夢見た宇宙にだんだんと近づいていきます。

しかし、その夢も半ばにして終わりを告げることになります。ゴダードの実験に目を付けたアメリカ海軍が、海軍工学研究所で再び軍用のロケット研究を行うことを彼に要請します。しかも、旧式の火薬を使った固体燃料ロケットの研究でした。ゴダードも長く続いたロケットの研究費用を稼がなければならず、やがて太平洋戦争が始まると、軍事研究に再び縛られることになり、ゴダードの宇宙への旅は止まってしまいました。

そして、彼がその旅を終えることもありませんでした。第二次世界大戦が終わる直前、1945年の夏に彼は喉の病によって亡くなってしまいます。彼は内向的な性格もあり、液体燃料ロケットの真の価値を多くの人々に理解してもらうことはできませんでした。彼の功績が知られるようになったのは、すでに液体燃料ロケットが空を飛ぶようになった戦後になってからでした。
しかし、彼が残した数々の論文は、海を渡りドイツの科学者に知られるようになります。彼らもまた、時代に翻弄されながらもロケットを宇宙に飛ばすことに成功するのです。
そして彼らが残した数々の功績は、今の宇宙開発に色濃く残っています。

 

ゴダードは、液体燃料ロケットを製造し、宇宙を目指す中で、このような言葉を残しています。

 

「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である」

 

人は理想や夢を思い描き、希望を持つことができます。そして、そのために様々な努力を重ねれば、それが現実になる明日が来るかもしれません。
アポロ計画やガガーリンといった、人類に大きな影響を与えた出来事には欠かせない液体燃料ロケットの実現も、科学好きな少年の宇宙への憧れと夢から始まりました。ゴダードは多くの人に理解されなくても、いつか宇宙へ行けることを信じてロケットを作っていたのです。

小さな夢が希望になり、やがて現実になることがある、ゴダードが残した宇宙ロケットの技術が、そういった事実を今も私達に教えてくれます。

 

<参考>
・NASA – Dr.Robert H. Goddard, American Rocketry Pioneer
    https://www.nasa.gov/centers/goddard/about/history/dr_goddard.html

 

SPACEMedia編集部