人類の軌道上の拠点である国際宇宙ステーション(ISS)の一画に整備された「きぼう」日本実験棟。ここではさまざまな実験・研究が行われてきたが、2030年に予定されているISSの退役に伴い、宇宙利用は新たなフェーズを迎えている。
宇宙ビジネスの急成長や月面開発の進展など、大きく変わりつつある宇宙と私たちの関係。
2024年2月22日に開催される『ISS・「きぼう」利用シンポジウム2024』の関連特別企画として、「きぼう」プロジェクト・マネジャーを務めた長谷川義幸氏と、「きぼう」の設計等に携わった竹内芳樹氏、2人のレジェンドに当時のエピソードを語り合っていただいた。
(聞き手:株式会社DigitalBlast 宇宙開発事業部 エンジニア・工藤優花)
目次
宇宙開発を通じ、先端技術の獲得を目指す 〜日本が掲げた4つの目標
工藤 本日は国際宇宙ステーション(ISS)の「きぼう」日本実験棟のプロジェクトを率いたお二方にじっくりお話を伺えればと思います。はじめに、「きぼう」開発の初期段階で設定されたビジョンと目標についてお聞かせいただけますか。
長谷川 日本がISSに参加する際の初期目標は、産学官の関係者が集まった宇宙開発委員会の宇宙基地特別部会で決められていました。
目標は4つあり、ひとつは先端技術の獲得、2つ目は社会経済基盤の拡充、3つ目は新たな科学的知見の創造、4つ目が国際協力の推進でした。この当時、1982〜83年頃の社会背景としては、アポロ計画が進みスペースシャトルの打ち上げが成功した時代で、アメリカと、その競争相手であるソビエト連邦(ソ連)が二大巨頭で、有人宇宙開発や探査衛星の技術など、あらゆる点で先端を行っており、日本もヨーロッパもかなり差をつけられていました。日本はまだ高度成長期で、アメリカに追いつき、追い越したいという機運があり、宇宙開発もその一端だったんです。気象衛星や放送衛星など、中型衛星をようやく打ち上げた段階で、純国産のロケットはまだありませんでした。
竹内 その頃はH-Iロケットが開発中でしたね。
長谷川 第一の目標は先端技術の獲得で、それはアメリカから得るしか手段がありません。1984年のロンドンサミットで、アメリカのレーガン大統領が日本とヨーロッパ、カナダに参加を呼びかけたのは渡りに船でした。人が安全に宇宙に上がって仕事をし、安全に帰ってくる。大きな目標の一つがこれでした。
竹内 また、ソ連には「ミール」という宇宙ステーションがありましたが、アメリカにはスカイラブ以降宇宙ステーションがなく、それで西側で作ろうという話になったんですね。
長谷川 2つ目の目標は経済的なもので、当時アメリカはISSで得られる知見を通じて素材開発や創薬などの産業を興すのだと言っていました。そして3つ目は天文や地球観測、通信、ロボティクスなどの科学技術の探究。この3つをベースに国際協力を行う中で、日本が少しでもこの環境に貢献しようというビジョンがあったのです。
結果的に、宇宙での創薬や工場の取り組みはなくなったのですが、その代わりに科学技術の取り組みが進んで成功し始め、日本はアメリカにとって重要なパートナーになり、国際協力という面では小型・超小型衛星の放出では「きぼう」が大いに活躍しています。
新入社員が担当した、「きぼう」の概念設計
工藤 「きぼう」の開発のアイデアはどのように生まれたのですか。
竹内 私は1984年に三菱重工に入社しました。ちょうどISS計画が正式に始まった年で、その前年から計画が進んでおり、「宇宙ステーションをやらないか」と誘われたんです。こんなチャンスはそうありませんから、面白いなと思って入ったのです。
今日もってきたのは、私が40年前に書いた宇宙ステーションのシステムコンセプトの元になった資料です。入社1年目でしたが、こんなシステムにするんだという概念設計です。どんなユーザーからどんな要求があったか、どんな実験が計画されていてどういうことができるか、ユーザーに対してどんなサービスを提供するか…という話から、制御系のコンセプトをまとめ、システムの計画は…と、こんな絵を新入社員のときに書いていて、なんとこれがそのまま形になったんです。
工藤 新入社員のときにこれを書かれたんですか?
竹内 はい。他にも結構若手が設計検討していました。
長谷川 当時はどのメーカーも若手が中心でしたね。
なぜかというと、当時、日本はN-Iロケット、N-IIロケットを開発して打ち上げていました。1985年頃にH-Iロケットができ、その後H-IIロケットの開発が始まりますが、N-Iロケットなどの大部分はアメリカのマクドネル・ダグラス社のコピーで、誘導制御などの仕組みの部分は開示されなかったんです。
図面をもらって作るだけですから、エンジニアはシステム設計、システムズエンジニアリングといった考えに馴染みがない。また、ロケットと有人宇宙はまた違う世界です。
竹内 マネジャークラスが新しい知識を身につけるには、ちょっと頭が固かったんだと思います。だから、逆にロケットのことを知らなかったり、そこまで染まってない若手がどんどん吸収して「こういうやり方がいいんだな」と覚えていく方がよかったんです。本当に自由にやらせてもらいました(笑) 。
工藤 開示されないブラックボックスの部分を、どうやって自分たちのものにしたのですか?
長谷川 ある装置の例ですが、ブラックボックスの部分は、アメリカからエンジニアが来て全部セットするのですが、サブシステムごとにいろいろ試験をするんです。
そのときに彼らを手伝うのですが、その一環で入力は何で出力が何だとプリントを出します。アメリカ側が残していったプリントの一部を全部集め、入力と出力を突き合わせると、徐々に回路が予想できるようになってきます。翌日、また別の試験があると、またそういうのを集めてくる。エンジニアが考えることに大差はないですから、だんだん仕組みがわかってきて、これをアップグレードしたものを日本で作ればいいじゃないかとなったんです。
工藤 入力されたコマンドと出力結果から積み重ねて…、果てしない作業ですね。
長谷川 こんなことばかりでした(笑)。
「きぼう」をISSに接続するドッキングアダプターはボーイング社が担当していて、溶接するためのインターフェースしか教えてもらえませんでした。40個近いモジュールを宇宙で組み立て、配線・配管するなんて本当にできるのかと思いました。
竹内 米国から「これとこれは買いなさい」と言われましたが、普通に考えてこれは共通化しなきゃダメなんですよね。
「きぼう」完成のカギとなったシステムズエンジニアリング
工藤 「きぼう」のシステムのアイデアはどこから得たのでしょう。
竹内 管制システムを作るときには、スペースシャトルはもちろん、スペースラブというヨーロッパが作った実験室の仕組みを調べました。他にも、何か似ているものはないかと思って発電プラントでどんなことをしているか調べたり。ビル管理システムなんかも調べました。
それでわかったのが、他の業界はあまり文書が揃っていないこと。宇宙システムや航空機を作るときには、トレーサビリティや検証、審査、型式認証と大量に文書を作りますが、他の業界はそこまでシビアでないので。要求書もないのに図面があったりして(笑)。
1990年代初頭までは会社にPCもネットワークも十分普及していない時代でしたから、デジタル分散制御システムの構想検討からインタフェース調整を行うことに相当の労力が必要でした。
工藤 他の産業からの学びも多かったんですね。戦後、日本は航空関連の研究が禁止された時期があり、欧米に比べて技術レベルに差があったと言われますが、どのように技術水準を引き上げていったのでしょうか。
長谷川 最初に答えを言ってしまうと、結果的に「きぼう」を打ち上げてアメリカのパートナーになったときにわかったのは、技術自体は揃っていたということです。
工藤 えっ、そうなんですか?
長谷川 技術は十分だったのですが、ひとつ壊れても2つ壊れても大丈夫、さらに壊れないようにする、という、品質管理と安全性の担保とはどういうことかがわかるまでに十数年を要したんです。
JAXAはメーカー8社と契約しており、その下には下請けのメーカーが650社ほどありました。宇宙飛行士の生命を守る品質と安全性を担保しつつ、コンポーネント、サブシステム、サブシステムをシステムに入れ、トータルのシステムとして動くようにする仕組みがなかなか作れなかったのです。
竹内さんが専門とするシステムズエンジニアリングは、全体で仕上げる段取りを決め、それを要求仕様に落とし、どんなものが必要か、リスクを挙げ、冗長系にしたりして、チェック・検証の方法を決め、最後にトータルのシステムでチェックしてOKを出すという考え方です。
JAXAでは、開発の手法として、プロジェクトチームの活動を、「安全ミッション保証室」のメンバーがチェックし、さらに「独立評価チーム」という別の部隊がトータルで見るようにしました。「きぼう」プロジェクトでの技術的・工学的な挑戦の中で重要かつ大変だったのは、プロジェクト・プログラムマネジメントとシステムズエンジニアリングの獲得でした。これが獲得できたら、あとは作れるようになったんです。
竹内 だから、こういう計画をする際には、要求を決めるのと同時に、その要求をいつ、どこで、どう検証するのかも全部計画します。NASAとも、国内のメーカー同士でも全部計画を立てました。システムズエンジニアリングでは、要求をブレイクダウンしていくだけでなく、検証をどうやるかを同時に決めるのが非常に重要です。これができれば、トラブルは意外に少ないんです。
だからシステム設計って、本当は簡単なんです。みんなハードに注目するからダメなんです。システム全体と、その機能。それがどういう機能をもち、またその機能がどう安全にかかわっているのか、そういう考え方をせず、モノで考えるとダメになってしまう。モノを積み上げても、安全なシステムはできません。ISSで求められる要求に応じていくことは、本当に勉強になりました。
〜 後編では「きぼう」打ち上げ前のエピソードやNASAとのハードな調整、次世代への提言を語っていただきます 〜
2024年2月22日(木)開催!
新たな時代を迎えつつある国際宇宙ステーション(ISS)と「きぼう」日本実験棟の今後を考える、『ISS・「きぼう」利用シンポジウム2024』のプログラムと、現地参加・YouTube視聴方法のご確認はこちらから!