黎明ロケットー宇宙を目指した小さなロケットたちー

カウントダウンの後に宇宙へ一直線に打ち上がる大きなロケット。現在の宇宙開発について多くの人が思い浮かべる光景です。ロケットが史上初めて宇宙に上がってから今まで80年ほどですが、80年前の宇宙空間到達まで、そしてその後も、世界では宇宙に到達できなくとも宇宙開発史上重要なロケットがいくつも空に上がりました。そのほとんどは、ロケット開発技術が確立する前の、黎明期に実験的に上げられたものでした。

今回は、そんな宇宙の発展に欠かせなかった、黎明期のロケットを紹介します。

宇宙への先駆け、ゴダードロケット「Nell」

1882年にアメリカ・マサチューセッツに生まれた「ロバート・ゴダード」は、幼少期に親からもらった望遠鏡や科学雑誌、そして学生時代に読んだSF小説をきっかけに、宇宙開発者を志すようになります。ゴダードは宇宙へ行くのに効率的なのは液体燃料を推進剤に使ったロケットであることを導き出し、独自の理論を作り上げました。

1926年3月16日、故郷のマサチューセッツ州にある親戚の農場にて、ゴダードは史上初の液体燃料ロケットの打上げに挑戦します。「Nell」と呼ばれるこのロケットの推進剤には一般人でも手に入りやすいガソリンと、液体酸素が用いられました。人間の腕ほどのこの小さなロケットは、ロケット本体よりも大きな発射台に備えつけられ、ゴダードの手で発射されました。発射されたロケットは2.5秒ほどで41フィート(12m)上昇し、発射台から184フィート(56メートル)離れた地点に落下しました。12mというのは少し見上げるくらいの高さですが、液体燃料を使った本格的なロケットそのものが空想上のものだった時代、それが動いただけでも宇宙開発においては大きな一歩でした。

「Nell」ロケットと、ロバート・ゴダード(Credit:NASA)

ゴダードはその後もロケット開発を続け、最大で高度2.3km、時速11,000kmに達するロケットの開発に成功しますが、資金不足や第二次世界大戦の勃発によって、目標の宇宙ロケットの開発には至りませんでした。ゴダードの宇宙飛行の夢は、宇宙を目指す他の科学者たちに引き継がれていきます。

ロバート・ゴダードに関しては、以前別の記事でも紹介しているのでそちらをご覧ください。

「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実」-宇宙への道を開いた、ロバート・ゴダード-

月まで届け、愛好家たちが作った「Mirak」

1900年ごろ、当時オーストリア=ハンガリー領で現在のルーマニア領に住む「ヘルマン・オーベルト」はジュール・ヴェルヌのSF小説を読み、宇宙への情熱に目覚めます。それから第一次世界大戦を経て、ドイツに移って物理学の研究を始めたオーベルトは1923年に「Die Rakete zu den Planetenraumen(惑星間空間へのロケット)」という論文を発表します。この論文は、宇宙飛行を可能にする原理が示された論文で、それまでのロケットの技術的な話だけでなく、現実的に宇宙空間を飛行するにはどうしたらよいのかという理論を作り出しました。この論文はロケット開発だけではなく、本当の「宇宙開発」の先駆けとして重要なものとなりました。

1927年には実践的な宇宙開発を進めるため、ドイツ・ブレスラウに「ドイツ宇宙旅行協会(Verein fur Raumschiffahrt, VfR)」というロケット愛好家団体を設立し、本格的な液体燃料ロケットの開発を目指すようになります。その中には後にアメリカのロケット開発を主導することになるヴェルナー・フォン・ブラウンもいました。

1930年夏、VfRはベルリン近郊に「ベルリンロケット飛行場」を建設、「Mirak」と呼ばれる非常に小さなロケットの打上げに挑戦します。Mirakは「Minimums rakete(最小のロケット)」の略で、推進剤にはやはりガソリンと液体酸素が選ばれました。先端のタンクには液体酸素が入れられており、そこから伸びる棒のようなものには燃料のガソリンが入れられていました。まるでロケット花火のような見た目でした。

VfRが開発した「MIrak」ロケット(Credit:Mark Wade, astronauix.com

玩具のようにも見える非常に小さなロケットは、地上燃焼試験は上手くいったものの、最初の実験ですぐに爆発し、なかなか上手くいきません。オーベルトも実験で右目を失明するなどの重傷を負いますが、それでも諦めず飛ばしつづけます。1931年には高度60mほどまで飛翔するようになり、ついに手製の液体燃料ロケットの打上げに成功。これで自信をつけたVfRの愛好家たちは、1931年から1932年の間に100回以上の打上げを行い、最終的には改良型のMirakⅡで高度4kmまでの打上げに成功するという飛躍を遂げます。

愛好家の宇宙への憧れによって、ロケットは徐々に宇宙へと近づきつつありましたが、彼らはロケットの開発途中にドイツ軍、そして当時力を伸ばしていたナチスの力を借りてしまいます。それにより彼らのロケットは徐々に宇宙への憧れから離れていき、軍事的なものへと変わっていってしまいます。

彼らの努力が実を結び、科学的な意義を持つ純粋な宇宙開発で活かされるには、第二次世界大戦の終結を待たなければなりません。

逆転の発想「ペンシルロケット」

ゴダードやオーベルトの時代から進んだ1953年、太平洋戦争が終わって間もない日本で、東京大学教授の「糸川英夫」は、アメリカに渡った際にある本を読み衝撃を受けます。それは宇宙医療に関する本で、その本によって糸川はアメリカが既に宇宙に人を送ることを考えているということに気づきます。当時最先端の科学技術として注目されていたのはジェットエンジンで、同期の科学者がジェットエンジン研究に流れていく中、糸川は急いで日本に戻り、宇宙を自由に飛び回るための計画を立てます。

1954年、東京大学生産技術研究所内に「AVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics)班」を設立。糸川は国や関連企業を説得して人を集め、なんとか年間500万円の予算を確保してロケット開発に臨みます。

しかし、AVSA班が最初に作ったのは、全長23cmほどの、30cm定規よりも小さなジュラルミン製のロケットでした。既に欧米では大きなロケットの研究が行われていましたが、糸川はまずはロケットの空力的な特性を調べるのが先決と考え、”ロケットを小さくすれば少ない予算と材料で大きな成果を得ることができる”という、「逆転の発想」でこの小さなロケットを生み出しました。そのロケットこそが、日本で初めての実験用ロケット「ペンシルロケット」です。

ペンシルロケットは予算の制約上複雑な液体燃料ロケットを作るのは難しく、また日本には戦時中からのノウハウがあったため、推進剤には固体燃料が選ばれました。

ペンシルロケットは、最初の実験方法も斬新な発想に満ちていました。通常のロケットのように真上に打上げても詳細なデータを取ることは難しかったため、ロケットを横向きにして水平に”発射”し、1m間隔に並べたいくつもの和紙のスクリーンを突き破りながら飛翔することで、高価な機材を使わなくてもロケットの軌道が分かるという画期的なものでした。これをロケットの構造や材質を変えながら何度も行うことで、ロケットの空力的な変化や、最適な設計を導き出すことができるようになります。

国立科学博物館で展示される、実物のペンシルロケット(上)(筆者撮影)
ペンシルロケットの水平発射実験の様子。横向きに発射されたペンシルロケットが、一定間隔に置かれたスクリーンを破りながら飛翔することで、ロケットの空力特性が分かる仕組み。
(下)(Credit:ISAS)

1955年4月、東京国分寺市で行われたペンシルロケットの水平発射実験は成功。戦後初の日本のロケット実験成功でもあり、日本の宇宙開発の幕開けでもありました。その後もペンシルロケットは全長を変える、翼をなくしてみる、二段式にする、そして実際の宇宙ロケットのように真上に打上げるなどの様々な実験が行われ、合計で150機ほどが発射されました。

これらペンシルロケットによって貴重なデータを得られたAVSA班は組織も東京大学宇宙航空研究所に名前を変えて大きくなりながら、ベビー、カッパ、ラムダとロケットを大型化していき、1970年にL-4Sロケットで日本初の人工衛星・おおすみの打上げに成功します。

これらペンシルロケットから生まれた固体燃料ロケットの系譜は現在も続いており、探査機・はやぶさを打上げたM-Ⅴロケットや、その後継機であるイプシロンロケットに繋がっています。

今回は、黎明期の小さなロケットを紹介しました。

今では宇宙へと飛び立つ大きなロケットも、その元を辿れば、どれも片手で持てるような小さなロケットばかりです。そしてそんな先駆けの小さなロケットの開発は、現在も研究所や大学等で行われ、新しい技術の花を咲かせようとしています。

まずは小さなところから、宇宙を目指してみると、新しい発見があるかもしれません。

参考文献

NASA – Dr.Robart H. Goddard, American Rocketry Pioneer
https://www.nasa.gov/centers/goddard/about/history/dr_goddard.html

Mark Wade, astronauix.com – Mirak
http://www.astronautix.com/m/mirak.html

ISAS 日本の宇宙開発の歴史
https://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/