2021年8月、JAXAは10月7日にイプシロンロケット5号機を打上げると発表しました。前回の記事では、打上げ場所となる内之浦宇宙空間観測所の見どころをご紹介しました。今回は、内之浦の知られざる歴史について解説します。
(前回記事:https://spacemedia.jp/2021/09/29/00144/)
◆内之浦宇宙空間観測所が開所される前
内之浦に発射場が開所される前は、日本海に面する秋田県の道川海岸から観測ロケットが発射されていました。しかし、ロケットの性能が向上し、飛距離が伸びてくると、対岸に中国やソ連がある日本海での打上げには限界が見えてきました。そこで、「日本のロケット開発の父」である糸川英夫氏は、太平洋沿いの打上げに適した場所を求め、北は北海道から南は種子島まで調査して回りました。そして打上げに最も適した地として選ばれたのが、鹿児島県大隅(おおすみ)半島に位置する内之浦でした。
開設当時の観測所 左に内之浦の町が見える Credit:ISAS
◆日本初の人工衛星打上げまで
1962年、世界でも珍しい山腹に位置するロケット発射場として、内之浦宇宙空間観測所は開設されました。開設とほぼ同時に始まったのが、L(ラムダ)ロケット計画です。当初は観測ロケットとして計画されていましたが、その先のM(ミュー)ロケットによる人工衛星打上げを見越し、衛星打上げロケットとしての開発も進められました。1966年、L-4Sロケット1号機が、初めて人工衛星を載せて打ち上げられましたが失敗しました。以降、試験機も含めて4度の打上げに失敗しますが、地元の人々の支えもあり、1970年2月11日、ついに5度目の挑戦で日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げに成功しました。この衛星の名前には、打上げを応援してくれた大隅半島の人々への感謝が込められています。
◆衛星の打上げ場として
「おおすみ」打上げ以降、内之浦は観測ロケットとともに、年1回のペースで人工衛星を打ち上げ続けています。その中には、日本の宇宙天文学を一気に世界レベルへと押し上げた「はくちょう」や、日本で初めて太陽周回軌道に投入され、ハレー彗星を探査した「さきがけ」「すいせい」といった衛星が含まれます。小惑星イトカワからサンプルを採取し、地球へ感動的な帰還を果たした「はやぶさ」も、ここ内之浦から打上げられました。2013年から、イプシロンロケットの打上げが開始され、現在もロケット発射場として活躍しています。
「すいせい」を打ち上げたM-3SII型ロケット2号機 Credit:ISAS
今回は、内之浦の歴史についてご紹介しました。日本の宇宙開発史に輝かしい歴史を刻んできた内之浦は、今後もロケット打上げと共に新たな歴史を築いていくのではないでしょうか。