宇宙での長期滞在に必要な技術は数多くありますが、重力の生成という観点はこれまで見過ごされてきました。ISSに滞在する宇宙飛行士は体を維持するためにハードな運動を毎日続けていますが、これは長期滞在のハードルになります。また、哺乳類の出産や育成はできないとされており、このままでは宇宙で世代交代を繰り返すことはできません。そこで、鹿島建設株式会社では、無重力や低重力空間でも1Gの重力を生み出す装置を構想しています。今回のインタビューでは、鹿島建設株式会社 技術研究所 研究管理グループの大野琢也氏にお話を伺いました。
鹿島建設と宇宙との関係
―本日はよろしくお願いします。はじめに、大野様の経歴や貴社の宇宙事業の概要についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
大野氏 鹿島建設で行っている宇宙開発の研究は、遠隔施工の技術と人工重力施設についてです。私の経歴としては、神戸大学を大学院まで行って建築学を専攻した後、鹿島建設に入社しました。そして、2020年から非常勤講師という形で京都大学と共同研究を始め、2021年に大学院総合生存学館にSIC有人宇宙学研究センターというのが立ち上がりました。そこではSIC特任准教授という立場で参加しています。2022年に技術研究所の兼務となりました。所属学会は日本建築学会で、最近、宇宙居住特別委員会というものが立ち上がり、そこに参加しています。
鹿島建設はクワッドアクセルという技術を開発しており、これは労働力不足への対応や安全確保のために自動化した建設機械によって施工するものです。技術研究所で研究を進めていましたが、これが月面開発にも使えるのではないかということで、JAXAと共同研究を進めています。
―地上での技術開発が宇宙開発につながるのですね。
大野氏 クワッドアクセルは、熟練技術者の高齢化と若年層の就職者不足に伴う将来的な人手不足、工事の生産性および安全性向上といった建設業界の課題を解決するための技術で、人が予め計画した通りに重機が自動で作業を行うため、複数の重機を少人数で管理することができます。一方でJAXAは、無人の重機を月に送り込み、遠隔で操作して拠点を建設する工程を想定していました。しかし、月面までは通信の遅れがあるので、従来の手法では操作性に大きな問題があります。そこで、自動化や自律化が必要ということで、鹿島の技術が注目され、共同での研究開発が始まりました。地上での実証実験もある程度進んでおり、自動で模擬モジュールを設置する実験などを行っています。今後は操作支援、動作判断、協調作業といった課題を克服し、月面での作業の実現を目指していきます。
JAXAは鹿島が持っている遠隔・自動化技術を活用したいという一方で、私たちはむしろ宇宙に向けた研究をすることで、地上でのダム建設などに役立てていきたいという狙いがあります。
―人工重力施設はどのような研究でしょうか。
大野氏 人類の恒久的な宇宙生活を実現するためには人工重力が必要だということで、京都大学と共同で研究を行っています。京都大学は宇宙居住についてずっと研究しており、火星の地球化 (テラフォーミング) の研究をしていました。低重力を解消できないと人間の長期滞在は実現できないのではと思っていたそうですが、そこで私の人工重力システムの研究をみて、可能性を見出すことができたそうです。ちょうどそのころ、宇宙法、医療、生態系など、各部門を統一した一つの新たな学問領域ができるのではないかということでSIC有人宇宙学研究センターが設立され、鹿島建設にも共同参画企業として声がかかり、共同研究が始まりました。
壮大な人工重力施設構想
―どのようなきっかけで人工重力システムの研究を始めたのでしょうか。
大野氏 まず、小学生の時に科学雑誌で「月や火星に住めるかもしれない」という記事を見た時から、人類の宇宙進出に関心を持っていました。ところが、地球環境を宇宙に持っていけないことを不安に感じ、特にどうしても再現できない重力に興味を持ちました。その後、中高生時代に宇宙居住について調べ、低重力環境で過ごすと地球に帰れない体になってしまうことを知りました。これでは、地球と月や火星にそれぞれ定住する人類の間で分断が生じ、紛争の遠因になるのではないかと懸念しました。つまり、未来の宇宙社会を明るくするためには、低重力の問題を解決しなければならないと考えたのです。
―これまで、この課題の解決にはどのような研究が行われてきたのでしょうか。
大野氏 無重力の実害や症例に関する知見は、これまでの有人宇宙活動によって蓄積されてきました。骨粗鬆症、結石、血流不全、筋肉衰弱、視覚障害等が起こるとされています。NASAは月面進出にあたって低重力を5大課題の一つと位置づけており、様々な研究を進めていますが、ほとんどは薬や運動での克服、つまり成人の体の維持が目的であり、世代交代は考慮されていません。現在行われているのは無重力の実験だけです。無重力で子どもが生めるとわかったのは魚類と両生類だけで、いまのところ鳥類や哺乳類はできません。2017年のJAXAの実験で、人工重力設備でマウスを繁殖させることには成功しています。
無重力では、世代交代という話以前に日常の生活もままならないでしょう。例えば水の入ったコップを割った時、重力があれば床に落ちるからこそ掃除ができますが、無重力状態だと破片が浮遊して危険ですし、水滴によって漏電の恐れもあります。トイレもとても不便ですね。そこで私が提案しているのは人工重力ネットワークというものです。日常を1Gで暮らすことができたら、誰でも宇宙に長期滞在して地球に戻れる体を維持できます。
―どのようにして人工重力を生み出すのでしょうか。
大野氏 回転するリングの内側に立ち、遠心力を生み出すことでGを得ます。これ自体は古くからある発想で、SF映画等に出てくる住居やスペースコロニーも同じ原理です。軌道上の重力施設ではこれを想定しています。
―月や火星の上ではどのような構造になるのでしょうか。
大野氏 天体上の重力施設では、天体の低重力と遠心力を合成することで1Gを実現します。遠心力と床面の角度の関係から、施設全体は回転放物面になります。月ではルナグラス、火星ではマーズグラスと名付けています。マーズグラスでちょうど1Gになる場所をマーズポイントと呼んでいますが、同じ半径で同じ床面角度なら別の高さであっても1Gになりますから、複数階の建造物も建てることができます。このようにして重力環境を生み出せば、子どもを産み育てることが可能になり、世代交代が実現できます。
さらに、天体間の移動中の人工重力施設も考えています。地球と火星は最短でも半年かかるので、その期間で体が弱ってはいけません。この部分は京大の山敷教授らがHEXATRACKコンセプトを発表していますが、円筒形で回転する構造で1Gを維持したまま移動するための研究を進めています。
軌道上、月、火星、そして移動する間、どこでも1Gで繋ぐことができたら、人類は安心して宇宙進出し、世代交代が可能となるという構想です。
―半年の移動でも重力生成が必要なのでしょうか。
大野氏 いまISSの宇宙飛行士は1日2時間もハードな運動をし、なんとか体を維持しています。宇宙飛行士でさえこれはしんどいそうですね。重力を生み出せば、こんなことをしなくてもよくなります。
―天体上の回転放物面の建物間はどう移動するのでしょうか。
大野氏 まずローバーで走ったり噴射装置で飛んだりすることが考えられますが、そんなことをしたら月や火星の表面があっという間に乱されてしまいます。そこで、回転力を利用してハンマー投げの要領で動力を得て、位置エネルギーを運動エネルギーに変換して加速するといったことを考えています。
―独特な構造物ですね。
大野氏 そうですね。あと、天体ごとに固有の形状になるのは面白いですね。1Gの地球では平面とすると、1/3Gの火星では緩やかな放物線回転面、1/6Gの月では急峻な回転放物面になり、無重力の0Gでは円筒面になります。
ただ、いきなりルナグラスやマーズグラスといった構造を建設することはできないので、JAXAが月面で発見した溶岩孔内の中でやじろべえのような簡易構造を作り、これを回転させることで重力生成を行うことを考えています。放射線を防いだこの遮蔽空間にまず拠点を作り、ルナグラスの建築を行います。そして、人口が増えていけば都市化していくということを考えています。
―どのようなスケジュールで進めていくのでしょうか。
大野氏 簡易施設はロケット3基分程度で輸送できるので、10~20年でできると思っています。グラスは50年、ルナグラスは100年、マーズグラスなら200年程度のオーダーになると思っています。
―こうした構想は、どういった体制でやっているのでしょうか。
大野氏 チームはまだまだ有志ですね。技術研究所の枠ですが、部署としてはまだないです。
―社外からの反応はいかがですか。
大野氏 医学界では人工重力の必要性は認識されていましたが、国内外でも建築の形では初めてでした。SFでは無重力での円筒形の構造物だけでしたから、低重力下での放物面形状というのは初めてでしたね。また、芸術家の方々からも良い反応をいただきます。芸術家の方々とコラボして、宇宙空間を感じさせる芸術ができないかという話がありますね。
―月面開発のために地上で行える実験もあるのでしょうか。
大野氏 簡易施設については、空中ブランコを応用した実験施設を地上で作ってみたいと思っています。さらに、ホテル併設の人工重力施設も考えています。これは未来の人工重力施設の体験ができるアミューズメントになり、娯楽施設であるとともに過重力を利用したトレーニングや、医学治療、骨粗鬆症や老化防止に関する実験を行う施設にもなります。
―放射線の遮蔽はどうするのでしょうか。
大野氏 水を利用した遮蔽を考えています。また、水と緑によって長期滞在する人間をリラックスさせたりする効果もあるでしょう。これに関しては、水の蓋をどれくらいの厚さにしたらいいかといったことを検討しています。また、様々な材料の遮蔽効果を京都大学で計算しています。ただ、太陽活動が活発になってコロナ質量放出があると、溶岩孔に避難しなくてはなりません。数10年に1回程度は破壊的な放射線が来て、逃げ込まなければならないと言われています。
―重力以外に課題だと感じているのはどのような技術がありますでしょうか。
大野氏 一つは、どのように建物を回転させるかということです。このエネルギーとしては、太陽光による熱の利用を想定しています。ただ、超電導の技術など、まだ実現していない技術を使わねばならないということも多くあります。あとは材料ですね。月面にある水の分離やチタンなどの金属の分離の技術開発も必要です。それから、いまのままでは法の体系が届かないことがあります。バラバラに行くと混乱を招き、人類が分断されるのではないかと心配しています。ですから、ルナグラスを万国共通で作り共有財産として活用することで、宇宙で活動して弱った人がここでリハビリしてから帰るなど、共有の施設とすることによって人類の一体感を高められないかと考えています。
以上、鹿島建設株式会社 技術研究所 研究管理グループの大野琢也氏のインタビューでした。大野氏が子どもの頃に感じた問題意識が、建設会社での経験を経て具体的な解決策の構想になり、これだけ壮大な計画に繋がっています。自己分析によると、技術者というより思想家であるとのことです。技術力も大切ですが、いかに人類の理想を描いて遠い未来を考えていくかが重要となるでしょう。また、遠隔施工の技術が宇宙開発に生かされ、一方で宇宙開発を目指した技術開発がさらに地上での施工に貢献していくという相乗効果にも期待です。
SPACE Media編集部