宇宙ステーションや宇宙機のミッションにおいて、機器の様子を観察したり天体を観測したりするためにカメラで撮影することがあります。しかし、撮影したい場所にカメラを向けるためにはカメラを動かすための機構が必要になり、重くかさばってしまいます。そこで、360度カメラがコンパクトな撮影機器として活躍しているのをご存じでしょうか。今回のインタビューではJAXAと共同で宇宙用360度カメラを開発した株式会社リコーのSV事業センター 第一開発室 開発3G・吉田氏にお話を伺いました。
リコーと宇宙との関係
―本日はよろしくお願いします。初めに、御社のカメラが宇宙で使用されるに至った経緯について教えてください。
吉田氏 宇宙で使用しているカメラは、RICOH THETA(シータ)という360度カメラがベースとなっています。THETAは2013年にBtoCの製品としてリリースしたもので、手軽に360度の撮影ができるということで好評いただきました。2015年にはTHETA Sという動画撮影機能付きの機種を販売し、さらに販売が拡大していき、それがJAXA宇宙探査イノベーションハブの目に留まりました。はやぶさ2の主要メンバーでもありカメラに詳しい方に、私たちのカメラを宇宙で活用できるのではないかということで、声をかけていただきました。
―そうなんですね!その後どのように開発が進められていったのでしょうか。
吉田氏 低軌道から深宇宙まで、幅広いミッションで活用の可能性があるということで、まずは初期検討から始めました。そして、船外実験での活用を想定して2018年からその用途に絞って開発を進めていきました。最初のミッションは、JAXA・国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)・ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)が共同で行っているSOLISSという光通信を実証するプロジェクトにおいて、ISSでの実験状況を撮影するというものでした。機器の様子を撮影することに加えて、地球やISS、補給船こうのとり8号機の離脱の撮影など、様々なものを撮影するということになりました。
―なぜ御社の360度カメラがJAXAの目に留まったのでしょうか。
吉田氏 JAXAが強調していたのは、小型かつ軽量であることです。宇宙機に搭載する機器は重量に厳しい制約がありますから、1台で完結してすべての方向を撮影できるのは大きな利点です。またTHETAはリコーがこれまで培ってきた光学などの技術を集約しているので、小型ながら、高品質な映像撮影を実現していたところも評価頂いたと考えています。
―宇宙で活用したいと声をかけられた際、どのような展開を想定していたのでしょうか。
吉田氏 ちょうどその頃、それまでBtoC向けに展開していたTHETAをBtoB向けに開発することを検討していたので、宇宙産業向けの展開というよりは、ビジネス用途での開発に向けたノウハウ蓄積にとても良い機会なのではないかと思いました。とは言え実際にJAXAと共に開発し、宇宙産業のことが分かっていく中で、次第に宇宙産業の可能性を感じ始め、このカメラを宇宙で活用していくこと自体に大きな価値を見出せるのだとビジネス構想が広がってきています。
―だんだんと宇宙産業の魅力に気づいていったのですね。その他の活用としてはどのようなものがあるのでしょうか。
吉田氏 例えば、JAXAと日立造船が開発した全固体電池の実証実験で活用したことがあります。世界で初めて全固体電池の宇宙空間での充放電に成功したのですが、その際に電池の作動を電流や電圧のデータで見るだけでなく、THETAでその様子を撮影したことで、実験の動作状況をモニタすることができました。電池の利用は今後の宇宙開発の幅を広げていくと思います。通常、電子機器を用いるために主電源からコードを引っ張ると、機器を利用できる領域が限られてしまいます。しかし、電池があればそうした制約がなくなり、もっと自由に利用ができるようになっていきます。
360度カメラの可能性は本当に広く認識されていて、低軌道から深宇宙での用途に至るまで、国内外の多数の企業・機関からご相談いただいています。探査や観測の用途ではカメラで対象を撮影するということになりますし、また宇宙機自身を自撮りして、可動部などが正常に動いているかを直接見て確かめたいというニーズもよく伺います。
宇宙で作動させるための開発
―では、開発時のお話を詳しく伺っていきたいと思います。開発で苦労したのはどのような点でしょうか。
吉田氏 開発の主体はJAXAでしたが、私たちの主な担当は、ファームウェアのカスタマイズでした。また、JAXAが実施した環境試験後の機器の動作検証と課題箇所の解析作業、長時間連続動作検証についてはJAXAと共同で対応いたしました。苦労した点としては、宇宙という厳しい環境に耐えるには高い性能が求められることで6ヵ月のミッションの間、修理なく確実に動き続けなければなりません。ただハードルは高いとはいえ、私たちリコーとしてはカメラの品質を実証する機会ですので、撮影に成功するだけでなく、綺麗な画を撮りたいと思い、取り組んできました。
―初めての取り組みで気づく点は多くありそうです。具体的に、どのような課題がありましたでしょうか。
吉田氏 半年間のミッションで安定稼働するようにハードウェアとファームウェアの両面から対策をうちました。例えば放射線試験において、破壊の懸念がある電子部品が複数発見されました。交換可能な内蔵メモリは放射線耐性のある品種に交換しました。交換できない部品は、仮にその箇所が破壊しても主たる撮影機能が動作し続けるようファームウェアを変更しました。
THETAはBtoCのお客様に最適化した各種の自動制御が働くのですが、宇宙での連続稼働という観点では阻害要因となる機能も含まれます。これらを一つ一つファームウェアの仕様を検証し改訂していきました。
また、THETAを外部のホスト側から制御するシステムに関しても、安定動作をする検証作業には時間を要しました。当時、本件と類似のシステムで地上向けのBtoB向けサービスを提供していたこともあり、その技術資産が応用できたことも幸いしました。
―非常に多くの課題があったのですね。
吉田氏 一番不安だったのは、実際の撮影を試せないことです。これまでのカメラ開発ではお客様が使う現場を想定し、何度も撮影してみてフィードバックを得られるのですが、宇宙は一発勝負です。環境を模擬して撮影したりはしますが、本当に正しく模擬できているのか自信が持てず、これまでとは全く異なる経験でした。最終的にきちんと綺麗な映像が撮れた時はホッとしましたね。
今後の展望
―これから先、どのように宇宙事業を広げていくのでしょうか。
吉田氏 具体的な展望はこれから描いていきます。宇宙用途のカメラを1つの大きな事業としていくには時間がかかると感じています。現段階では、どういう機能が求められどの技術を重点的に獲得していくべきか、どういうパートナーとの連携がとりうるのかなど、業界構造を深く学ぶフェーズと考えております。一方で、手を動かさずに学ぶ姿勢だけでは情報は入ってこないので、具体的なプロジェクトへの取り組みを続けながら、宇宙業界への理解を深めていきたいと思っています。
―宇宙向けに開発したものを再び地上転用するといった可能性はありますか?
吉田氏 例えば建設現場は、宇宙ほどの過酷な環境ではないものの、外に晒された温度変化の激しい環境となります。こうした場所で安定作動させるという要求がありますから、共通する部分はやはりあります。
また、私たちのSV事業センターでは、機器開発を行っているだけではありません。ハードウェア、ソフトウェア、クラウド3つに蓄積されている技術と知見の掛け合わせでつくるサービス体系を構築し、不動産や建設市場向けで活用いただいています。地上でも宇宙でも、360度カメラの撮影データだけでは顧客のニーズを満たしていくことはできず、データの分析、データの共有が必要となることも自明です。地上向けと宇宙向けの開発で得たノウハウを相互に生かし合いながら、周辺サービスとの連携模索や技術向上を進めていきたいと思っています。
以上、株式会社リコーのSV事業センター 第一開発室 開発3G・吉田氏のインタビューでした。最初は宇宙で活用することを想定していなくても、小型軽量という点で注目されて宇宙での作動が実証され、いまや多方面から引き合いがあるリコーの360度カメラ。これからどんどん活躍の幅が広がり、いずれ当たり前のように宇宙機に搭載されていくことになるでしょう。今後の展開に注目です。
SPACE Media編集部