ロケットなのに「空を飛ばない」? 新型イプシロンSロケット燃焼試験、相次いで実施【後編】

能代ロケット実験場。後ろに破壊された試験設備が見える
撮影:加治佐匠真

JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、2023年7月14日午前9時に秋田県の能代ロケット実験場で、現在開発中のイプシロンSロケット第2段モーターの地上燃焼試験を実施したが、燃焼途中でモーターは爆発し、試験は失敗した。

後編となる今回は、現時点で判明している爆発原因や、試験が行われた能代市、秋田県と宇宙との関わりについて解説する。

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ロケットなのに「空を飛ばない」? 新型イプシロンSロケット燃焼試験、相次いで実施【前編】

なぜロケットモーターは爆発した? 実験場への被害は過去にも

今回試験が行われた第2段モーターは、2023年3月の1号機打上げが記憶に新しいH3ロケットの補助ブースターと、推進薬やモーターケース、ノズルの共通化がなされている。2022年まで運用されていた強化型イプシロンに比べ、モーターケースの大型化と推進薬量・推力の増加が図られているものの、目立った新機軸ではない。

第2段モーター爆発の瞬間
Credit:JAXA

試験では約120秒の燃焼が予定されており、点火後の燃焼は正常だった。しかし、点火後約57秒頃、推力が0.002秒のうちに約2倍になり爆発した。なお、爆発時のモーターケース内部の圧力は約7.5Mpa(メガパスカル、1MPaは約10気圧)であり、想定されている使用最大圧力8.0MPaを下回っていた。

JAXAによれば、モーターケースに高温な過大負荷がかかり、強度を維持できないレベルまで温度が上昇したことで破壊・爆発に至った可能性が高いという。温度が上昇した理由としては、推進薬の燃焼異常と、インシュレーションとよばれるモーターケース内部の断熱材が十分に機能しなかったことの2点が挙げられており、継続して詳細調査が行われている。

第2段モーターの断面図
Credit:JAXA

今回はロケットモーターが爆発しただけではなく、真空燃焼試験棟とよばれる燃焼試験設備にも被害が出た。今回のような中型のロケットモーター試験は、現在のところ能代ロケット実験場でのみ行われている。JAXAだけでなく民間企業も利用しているため、早急な復旧ができなければ、イプシロンSだけでなく多方面に影響をおよぼすとみられる。

爆発前の真空燃焼試験棟(HATS)
撮影:加治佐匠真
爆発後の真空燃焼試験棟。爆発前と比較すると被害状況がよくわかる
撮影:加治佐匠真

能代ロケット実験場の試験設備が被害を受けたのは今回が初めてではない。1983年5月26日に発生した日本海中部地震の際には、津波によって試験設備が破壊され、砂が15cm堆積するなど、当時開発していた新型ロケット「M-3SII」への影響が懸念された。しかし、この時は早期に復旧して燃焼試験を再開し、M-3SIIロケットは予定通り打ち上げられた。

2024年度の打上げを予定していたイプシロンSの開発予定は不透明となったが、40年前と同様、立ち止まることなく早期に原因を究明して試験を再開し、開発が進むことを期待したい。

バスケだけじゃない!「宇宙のまち」能代市

能代ロケット実験場がある秋田県能代市は、どのような街なのだろうか。それは、市の玄関口である能代駅のホームを見るとよく分かる。なんと能代駅には、バスケットゴールがあるのだ。ゴールに書いてある通り、能代市は「バスケの街」であり、全国大会優勝回数58回を誇る能代工業高校(現:能代科学技術高校)や能代バスケミュージアムなど、街のいたるところにバスケットボールを感じさせる風景が広がっている。

能代駅ホームにあるバスケットゴール
撮影:加治佐匠真
能代市街地にあるバスケットボールデザインのマンホール
撮影:加治佐匠真

だが、能代市の魅力はバスケットボールだけではない。1962年の実験場開設以来、60年以上にわたって「宇宙のまち」としても歩んできた。能代市子ども館では宇宙開発に関する数々の貴重な展示が行われており、子どもだけでなく、大人も楽しめる内容となっている。

能代市子ども館展示室。数々の人工衛星やロケット部品が展示されている
撮影:加治佐匠真
能代市子ども館に展示されている再使用ロケット実験機「RVT」の実機。手前は能代宇宙イベント公式キャラクター「のしろケットちゃん」
撮影:加治佐匠真

また、2023年5月には「宇宙のまち」能代をアピールするキャラクター「宙彩しろん」がデビューし、6月には能代市から能代ふるさとPR大使に任命されている。宇宙を感じさせる衣装を身に纏った彼女は、トークショー出演やX(旧Twitter)での発信など、現在精力的に活動している。彼女の活動と、「宇宙のまち」としての今後の能代市の盛り上がりに注目だ。

(宙彩しろんのXアカウントは → https://twitter.com/UVP_Noshiro

能代市子ども館にいた「宙彩しろん」
撮影:加治佐匠真

能代だけじゃない! 秋田県と宇宙の長い関係

秋田県と宇宙開発との関わりは、能代市だけにとどまらない。1955年4月に東京都国分寺で行われた日本初のロケット「ペンシルロケット」の発射実験に続き、同年8月には、秋田県道川海岸から「ペンシル300」とよばれるロケットが打ち上げられた。以降1962年5月に至るまで、道川からは数多くのロケットが打ち上げられ、日本のロケット開発の礎となった。

道川から初めて打ち上げられたロケット「ペンシル300」
撮影:加治佐匠真

道川が打上げ場所として選定されたのは、広い土地のない日本ではロケットを海岸で打ち上げる必要があったが、当時ほとんどの海岸はアメリカに占領されており、空いているのが佐渡島と男鹿半島周辺しかなかったためであった。佐渡島は機材輸送の点で難があったため、男鹿半島近くの道川に白羽の矢が立ったのである。

現在の道川海岸の様子
撮影:加治佐匠真
道川海岸の「日本ロケット発祥記念之碑」
撮影:加治佐匠真

道川でロケット開発は進んだが、性能が上がるにつれて、狭い日本海では実験に限界が見えてきた。そのため、太平洋に面した鹿児島県内之浦に新しい実験場が建設され、より大型のロケット打上げは現在に至るまで鹿児島で実施することになった。また、1962年5月に「K-8」型ロケット10号機が爆発事故を起こしたことで、地元の強い要請により、道川での実験は中止されることになったのである。

田代試験場での燃焼試験の様子
Credit:JAXA

しかし、道川での実験中止とほぼ同時期に能代ロケット実験場が開設され、1976年には大館市に液体ロケットエンジンの試験を目的とした三菱重工業田代試験場が開設されたことで、秋田県は黎明期から現在に至るまで、日本の宇宙開発を支える存在として活躍している。能代ロケット実験場では近年話題になっている水素社会実現に向けた実験も実施されており、今後も宇宙開発に限らず、日本になくてはならない存在であり続けるだろう。