【宇宙の日特集】H-IIBロケット打上げ15周年記念!名機の軌跡を振り返る

最終打上げとなったH-IIBロケット9号機の軌跡
撮影: 今村 幸平

毎年9月12日が「宇宙の日」であることは、ご存じの方も多いだろう。そして、今年は「宇宙の日」前日の9月11日もちょっと特別だ。というのも、2009年9月11日にH-IIBロケットが初飛行してから15周年という節目の日にあたる。2020年に引退してから早4年、H-IIBとはどのようなロケットだったのだろうか。打上げ15周年を記念し、今回はH-IIBロケットの概要や開発経緯、輝かしい成果について振り返ってみたい。

H-IIBロケットの概要 ISSへ補給機を送れ!

「H-IIB」ロケットは、「H-IIA」ロケット(参考記事)の能力向上型ロケットとして宇宙航空研究開発機構(JAXA)・三菱重工が開発した、全長56mの大型液体ロケット。JAXAが開発した宇宙ステーション補給機「こうのとり(HTV)」の打上げに対応するとともに、中型衛星の2機同時打上げを可能とし、コストを低減させる目的で開発された。

こうのとりの質量は16.5トンだが、H-IIAが国際宇宙ステーション(ISS)に運ぶことができるのは最大12トンまで。こうのとりを打ち上げるという最大目標を達成するため、H-IIBはH-IIAに比べ、さまざまな点でパワーアップがなされた。

まず、第1段の直径を4mから5.2mへ拡大、全長を1m延長し、約1.7倍の推進薬を搭載するとともに、メインエンジン「LE-7A」を2基、固体補助ロケット「SRB-A」を4本搭載した(H-IIAはメインエンジン1基、補助ロケットは通常2本)。これにより、約1.3倍の打上げ能力向上を実現し、こうのとりをISSへ運ぶことができるようになった。

H-IIA(204型)とH-IIBの比較
Credit: 三菱重工技報 Vol.47 No.1(2010)

そして、衛星を保護するカバーであるフェアリングの全長も12mから15mへ延長し、こうのとりの搭載に対応した。なお、こうのとりには「スラスター(軌道変更や姿勢制御を行うための小型エンジン)」などの突起物が搭載されており、これらがフェアリングとぶつかることを避けるため、H-IIBのフェアリングには突起物カバーが取り付けられた。これはH-IIAのフェアリングにはない特徴であり、H-IIBのシルエットを特徴づけている。

海上から回収されたH-IIBロケットの実物フェアリング。右に突起物カバーが見える

開発経緯 幻の「増強型」から意思を受け継いで

こうのとりを打ち上げるためにH-IIBが開発されたことは前項で述べた通りだが、実は最初から現在のような形態が目指されていたわけではなかった。ここでは、開発経緯を整理してみよう。

まず1994年に初の純国産大型ロケット「H-II」ロケットが打ち上げられ、いよいよ日本も商業打上げへ参入かと思われたが、急激な円高進行もあり、H-IIは打上げコストが高いロケットになってしまった。

そこで、1996年からH-IIの低コスト化と性能向上(高度化)を目指したH-IIAロケット開発が開始された。この時点で日本のISS計画参加、およびこうのとりによるISSへの補給義務を果たすことは決定していたため、H-IIA標準型と、こうのとりを打上げ可能な「増強型」とを並行して開発することとなった。

しかし、1998年2月のH-IIロケット5号機、1999年11月のH-IIロケット8号機の打上げに失敗したことで、事態は一変する。より確実なロケット打上げが求められるようになり、H-IIA標準型の開発が最優先され、増強型の開発は保留となったのだ。

2001年8月、H-IIAロケット試験機1号機の打上げに成功した頃、H-IIA増強型を確実かつ段階的に開発する方針が政府から示され、2003年までには民間を主体とした官民共同開発を行う方針が決定された。これは、H-IIの失敗を受け、JAXA(当時は宇宙開発事業団)と製造メーカーとの責任範囲が不明確であることを追及されたことで、ロケット開発を民間へ移管し、民間が責任を取れるよう整理すべきであるという風潮を受けたものだった。

H-IIA増強型は、当初H-IIA標準型に「LRB」とよばれる液体補助ロケットを装備する形で検討が進められていた。しかし、こうのとりの質量が当初の15トンから16.5トンへと増加したこと、商業打上げ競争力を強化するにはさらなる能力向上が求められたこと、LRBを片側に装備した非対称形のロケットでは姿勢制御が難しいことなどから、2003年8月には、H-IIA「能力向上型」として、現在のH-IIBのような形態で開発を進められることが決定した。

幻のH-IIA増強型(212型) ファンの間では人気の機体である
Credit: 宇宙開発事業団パンフレット

2005年9月には、JAXAと三菱重工の間で基本協定が締結され、正式にH-IIBロケットの開発がスタートした。

開発に際しては、H-IIAの技術を最大限に活用・流用した、低コストかつ短期間での開発方針が示され、4年間・約270億円で開発を完了した(H-IIAは5年間・約1530億円)。

一方で新規開発した技術もあり、それまで海外から輸入していた燃料タンクの端にあたる部分(タンクドーム)を国産化するとともに、軽量化と検査負担の軽減を実現するため、「摩擦攪拌接合(FSW)」とよばれる新技術を導入した。

また、ロケットエンジンを複数個束ねる「クラスター化」技術を日本の大型液体ロケットとして初めて採用し、射点設備の改修も行った。

輝かしい成果 H3にも受け継がれる技術

実機と射場設備を使用した、CFT(第1段実機型タンクステージ燃焼試験・参考記事)とGFT(地上総合試験)とよばれる2つの試験を経て、H-IIBロケット試験機は2009年9月11日2時1分46秒、予定通りに打ち上げられた。

H-IIBロケットCFTの様子
Credit: JAXA

新規開発したロケットの初打上げにはトラブルがつきものであり、予定通りには打ち上げられないことが多いが、H-IIBは完璧なデビューを果たし、HTV技術実証機(この時点では愛称なし)を無事にISSへと送り届けた。

2011年1月22日には2号機が打ち上げられ、こうのとり2号機を無事ISSへ送り届けると共に、第2段機体を再突入させ、海上へ制御落下させる実験を行った。これは米欧に続いて3番目の実施であり、スペースデブリ(宇宙ゴミ)対策への先導的立場を示す事例となった。2号機以降、H-IIBは全8回の第2段再突入実験を行い、その全てに成功している。

2013年8月4日の4号機打上げからは、2007年から民営化を行ったH-IIA同様、打上げ業務が三菱重工に移管された。

H-IIBロケット7号機の軌跡 左上はオリオン座
Credit: 今村 幸平

2019年9月の8号機打上げでは発射台で火災が発生するトラブルが発生したが、打上げには成功し、2020年5月21日には最終号機である9号機の打上げに成功して有終の美を飾った。これにより、H-IIBは全9機の打上げに成功した。

なお、H-IIBは全ての機体がこうのとりの打上げのみに使用され、当初想定されていたような他の人工衛星打上げに使用されることはなかった。

スペースシャトルが引退してからしばらくの間、ISSの運用に欠かせないバッテリーなどの大型貨物はこうのとりでしか輸送できなかった。H-IIBはこのこうのとりを打ち上げる唯一の輸送手段として活躍し、78%という高いオンタイム(時間通り)率で打ち上げることにより、ISSの安定的な運用に貢献した。この活躍により、ISS計画における日本のプレゼンスを高めることができ、アルテミス計画をはじめとする、国際宇宙探査における現在の日本の立場を確立することにもつながった。

また、H-IIBで培ったクラスター化や大型フェアリング開発、第2段機体再突入技術などは、現在運用されている「H3」ロケット(参考記事)の開発にも生かされており、ロケット開発を行う人材の育成にも寄与した。

今回は、宇宙の日特集として、今年9月11日に打上げ15周年を迎えたH-IIBロケットの概要や開発経緯、成果について振り返った。H-IIBはISSの安定運用への貢献という実績を残しただけではなく、ロケット開発に関して多くの技術を残してくれた。この技術は、今後の日本のロケットへ脈々と受け継がれていくだろう。そして願わくは、H-IIBの輝かしい軌跡が、多くの人々の中に残り続けることを。

著者プロフィール

加治佐 匠真(かじさ・たくま)
鹿児島県出身。早稲田大学卒業。幼い頃からロケットが身近な環境で育ち、中学生から宇宙広報を志す。2019年より宇宙広報団体TELSTARでライター活動を始め、2021年からはSPACE Mediaでもライターとして活動。2024年7月よりSPACE Media編集部所属。主にロケットに関する取材を全国各地で行う。主な取材実績にH3ロケット試験機1号機CFT(2022)、イプシロンSロケット燃焼試験(2023、記事)、カイロスロケット初号機(2024、記事)など。

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